GLODIAとは?

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Outlineと初期のGLODIA


 パソコンゲーム全盛期に一時代を築いたソフトハウス。
 バリバリの8086系アセンブラ使いであった池亀治氏を中心に構成されたGLODIA(グローディア)は、当初制作集団として発足。「エメラルドドラゴン」88/98版のヒットの後に、販売も手がけるメーカー(法人)へと姿を変える。
(※ 当初はバショウハウスが販売を担当していた。よくこの2社は混同されがちだが、もともと別組織だし、分裂したわけじゃないので誤解のないように。そしてバショウハウスは制作会社ではなく、製作会社。いわゆるプロデュースから流通・広告までを行なっていたところで、ゲーム制作を行なっていたのがグローディアという感じ。とはいいつつ、バショウハウス加藤氏もGLODIAのゲームでシナリオを書いたりしていたので、はっきり分割できるかというとそうでもなかったり)

 社長の池亀氏は日本テレネットの「ファイナルゾーン」や「アルバトロス」などのプログラマとして活躍していた人。同様に、サウンドの恋瀬信人氏もテレネットにて「女神転生」「ファイナルゾーン」他、いくつかのゲームの曲を手がけている。同時期にGLODIAとしての活動も行なっているという、なかなかの神業。
 記念すべき第1作目「ライレーン」は慣性を操るシューティングで、加速度と方向を操って広いフィールドを進んでくものだが、「こんな滑らかなスクロールが!」という驚きを抱く。2作目の「テスタメント」も8方向フルスクロールのすさまじさ。当時はフィールドを歩いてるとディスク読み込みで引っかかるなんてことが普通だったのに、あの広大な領域をストレスなしの高速スクロールする上に引っかからないという、プレイヤーのゲームへの没入間を損ねないユーザーフレンドリーなシステムだった。このスタンスはプログラマ池亀氏の基本だったのだろうし、GLODIAをGLODIAたらしめた素晴らしい部分でもある。


ZAVASからEMERALD DRAGON


 1988年。当時小学館から出版されていた「ポプコム」というパソコンゲーム誌上にて、三遊亭円丈氏がRPG「サバッシュ」を企画。GLODIAはこのソフトの制作を担当する。3作目のソフトとなったこれには、後の大ヒット作エメラルドドラゴンへの掛け橋となった飯淳氏、木村明広氏が参加していた。(余談だが、ヴェインドリームのシナリオを行った薮田淳史氏も実は元ポプコムのライターだったりする)
 当時飯氏はポプコム編集部でバイトしていた身。木村氏は投稿の常連で、編集部に遊びに来ていたときにどうとか、という話を聞いた。縁は異なものである(その裏には、円丈氏が制作を投げちゃっておおわらわだったという事態もあったそうだが。バショウハウスの名前が入っているのも、未完のシナリオをどうにかするためだったらしい)。

 翌89年、バショウハウスがプロデュースしたPC-88/98版エメラルドドラゴンが大ヒット。この作品、シナリオ(飯氏)もビジュアル(木村氏)も素晴らしかったが、ゲームデザイン(池亀氏)も良かった。特に「相談コマンド」は非常に秀逸であったと感じる(以後、このシステムは同社のRPGに継承されていく)。
 90年。大ヒットから余裕が出たのか、法人化。(株)グローディアの誕生である。同時に販売までも自社で手がけるようになり、同年のX68000版エメドラが初のグローディアブランド作品となる。この裏に、バショウハウスからの巣立ち、袂を分かったスタッフが別会社(ライトスタッフ)を設立、という3社分裂事態があったのはあまりも有名。
(※ このとき、エメドラの版権が、バショウハウス、グローディア、ライトスタッフの3社に分断された。後に、バショウハウスがメディアワークスに版権を譲渡し、SFC版エメドラが出る、という経緯)


VainDreamから休眠まで


 その後「ヴェインドリーム」や「サバッシュII」など次々とRPGを出していき、LOGIN誌(ASCIIのパソコンゲーム誌)に「ビジュアルRPGの総本山」とまでいわれるも、途中からシミュレーションRPGを制作しだし、だんだんそっちの方へ流れていく。そして同社から最後に出たのは「エテミブル〜天壌無窮〜」というやはりシミュレーションRPGだった。
 もちろん、その間にも「バーンウェルト」や「アルヴァリーク冒険記」などの意欲作もリリースしているが、よくよく考えれば、そのソフトリリースの時期の短さ、多さはちょっと異様だった。

 1995年。SFC版エメドラ(メディアワークス)がヒットしている頃、木村明広氏をビジュアルに迎え「エメラルドドラゴン外伝〜イシュバーン戦記〜」(オストラコンを主人公としたシミュレーションRPG)を制作する、という発表を最後にグローディアはゲームメーカーとしての姿を終える。ただし会社としては存続しているとのことだ。
 ちなみに、ライトスタッフは97〜8年ごろの開発スタッフ解散の後、運営スタッフだけが残っていたが、99年に消滅した模様。


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